テクノポリスとピアニカ

坂本龍一がピアニカを弾いて、大友良英がギターを弾いている、あとヴァイオリンと金管楽器一人でずつの動画を観た。

ずっと前にライディーンを生楽器だけでYMOが演奏している動画を観て、えらく格好良く思った覚えがある。テクノの良さに、生楽器の演奏から触れていくという、間違った導入だが、確実にテクノを体に染み込ませた。

テクノは、耳を開かせる瞬間がある。テクノ耳になる瞬間だ。私の場合は、ワイヤーの琉球ディスコでその瞬間を迎えた。

その前にも、クラブやらライブハウスやら友人宅で蓋が開きかけていたが、明確にはワイヤーであった。

音量が上がるにつれ、視覚と聴覚のバランスがどんどん逆転していき、思考も混沌としてくる。そこに入ってくる秩序はリズムだけで、メロディーは要らなくなる。

打楽器を叩く代わりに、腰と頭で空気を叩く。叩かずにはいられない。一番音楽が味わえるのは、自分が演奏することに他ならない。だから、せめて空気でも叩かずにはいられない。