岩田社長が居なくなった世界のことを考えている。今も。

任天堂の岩田社長が亡くなってどれくらい経ったか。
今でも考えずにはいられない。
自分は任天堂の積極的なファンではない。DSも持っていなければ、wiiも持っていない。
だが、それらの功績については、影響されない訳にはいかない。
ゲームが、プレステ以上を求めなくなったときに、お茶の間にゲームを届けたのは、間違いなく任天堂だ。DSとwiiだ。
スマホがゲームを供給して、いつでもどこでもゲームがやれるようになったが、やはりゲーム体験としてはDSやwiiに及ぶことはない。
ただの暇つぶしではなくて、人生の楽しみとしての体験を得るためのゲームは他にはないのだろう。
一人の人がいなければ、それすらなかった世界のつなぎとしての社長。
本当に惜しい。

ゼロ年代とテン年代

ゼロ年代は確かに来た。そこに音楽の終末感はあったにしろ、最期の灯火のような豊穣はあった。

テン年代は、来たのか。

そもそもが、2011年から始まる年代をテン年代と呼ぶことの共通認識があるのか。10年毎の括りは、必ず必要であるのに、そしてその10年を先導する語り手が居て然るべきなのに、どうなっているのか。

個人的には、テン年代は完全にカルチャーから離れていた。スタジオヴォイスの2007年11月号のオールジャンルディスクガイド以降は何も知らないと言っていい。

だが、どうだ。世の中は。キチンと新しいものが生み出されているのか。

私たちの年代に熱狂があったように、その年代にはその年代の熱狂がある。今の中高生は、何の音楽に熱狂しているのか。大学生のリアルな熱狂は何か。

ゼロ年代に散々語られた、音楽の今後について、何かの回答が出たか。何かが終わったか。何かが勘違いにすぎなかったか。

昨日も今日も明日も、すぐ近くで完全に素晴らしい音楽は鳴っているはずであるが。

テクノポリスとピアニカ

坂本龍一がピアニカを弾いて、大友良英がギターを弾いている、あとヴァイオリンと金管楽器一人でずつの動画を観た。

ずっと前にライディーンを生楽器だけでYMOが演奏している動画を観て、えらく格好良く思った覚えがある。テクノの良さに、生楽器の演奏から触れていくという、間違った導入だが、確実にテクノを体に染み込ませた。

テクノは、耳を開かせる瞬間がある。テクノ耳になる瞬間だ。私の場合は、ワイヤーの琉球ディスコでその瞬間を迎えた。

その前にも、クラブやらライブハウスやら友人宅で蓋が開きかけていたが、明確にはワイヤーであった。

音量が上がるにつれ、視覚と聴覚のバランスがどんどん逆転していき、思考も混沌としてくる。そこに入ってくる秩序はリズムだけで、メロディーは要らなくなる。

打楽器を叩く代わりに、腰と頭で空気を叩く。叩かずにはいられない。一番音楽が味わえるのは、自分が演奏することに他ならない。だから、せめて空気でも叩かずにはいられない。

生き残るSNSは何か

FACEBOOKは生き残るか。

日本ではダメだろう。実名を出すには国土が狭すぎる。メンタリティにも不適合な感じだ。

ツイッターはどうか。3年は生き残るだろう。何か、フワフワしてるが故に意外に一番長生きするかもしれない。

固いのはLINEだ。

10年は、今の若者世代のインフラであり続けるだろう。

その後は、何か現時点では想像つかないサービスが出来て、皆それを使うんじゃないかな。

ケータイもスマホに代わる端末が出来ているかもしれない。物理ボタンへの回帰はないと思う。

どうなっていくかな。

STAP細胞は、なかった。と世間的には確定した。

STAP細胞は、やはりES細胞であったという記事が新聞に乗った。小さく。

これで、最終的にSTAP細胞が存在しないことが確定した。少なくとも世の中的には。

この扱いの小ささに、STAP細胞に対する日本人の科学的な興味の小ささが見て取れる。STAP登場時や、捏造疑惑発覚時にあれほど騒がれたのは、やはりゴシップ的な興味だったのだろう。

英語が分からずに洋楽を聴く特権

日本人の多くは、英語が分からずに洋楽を聴く。特権というと言い過ぎかもしれないが、得をしている点はある。

ある時、ラジオから聞こえてきた音楽に一気に引き込まれた。こんなん作れる奴がまた出てきたか。レディオヘッドの血を受け継いで、と思いながら、その曲を探すでもなく探していて見つけてしまった。

タイトルを見て、衝撃を受ける。

マッドネス!

マッドネス!!それがタイトルだ。

見つけなきゃよかったよ。あんなクールな曲を作る人間が、マッドネスなんてタイトルを付けてしまうのか。天は二物を与えるどころか、一物を与えすぎて、もう一物を激しく奪ってしまったのか。ああ、マッドネス。

ボブディランにしても、そうだ。ライクアローリングストーン。日本人が日本語で半分ふざけてスゲー上手く歌っている動画がある。

あんないい雰囲気の曲が、貧乏で捻くれてしまった感満載の歌詞なんて、ああ!

サビだけ訳せる程度の英語力が幸せだよ。サビすら訳せないながら、そう思った。


山本昌はまだ投げるしもう一勝する

私が小学生のころだ。

山本昌は130キロ代のストレートを投げていた。名古屋球場でそれを見ていた私は、頑張れば打てそうだと思った。小学6年生のころだ。

それから20年くらいたったか。

まだ氏は現役である。20代の心身ともにピークを迎えている相手に投げている。

今期はまともに登板できていないが、今まだ現役でいることで勇気を貰っている層が沢山いる。

名古屋で育った30代以降は皆そうであると思って間違いない。